変質するモノ作り日本(前編)

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 モノ作りによって空前の経済的利益を享受してきた「日本株式会社」が岐路に立たされている。
 日本の屋台骨ともいうべき製造業の競争力が急激に失われているのだ。7月の貿易赤字は同月としては過去最大の5,000億円となり、震災後の一時的な要因と説明されてきた貿易赤字が、もはや恒常的なものであることが誰の目にも明らかになってきた。
 震災をきっかけに日本経済が一気に変調したかのように見えるが、実は好景気に沸いていた2000年代半ばから、すでに製造業衰退の兆候は顕著になっていた。多くの日本人が見て見ぬふりをしていただけである。
 だが、日本の製造業が凋落しても経常収支がマイナスにならないのは、海外への投資から得られる莫大な配当収入が存在しているからである。皮肉にもモノ作りとは対極の「お金でお金を生み出す」仕組みが、今の日本を支えている。これによって生活水準が急激に下がることは避けられているが、逆にこの恵まれた環境が日本の方向転換を困難なものにしているともいえるのだ。

日本はお金でお金を生み出す「不労所得」の国
 日本では「お金でお金を生み出す」ことに対して嫌悪感を覚える人が多い。日本は真面目なモノ作りの国で、アメリカはお金でお金を生み出す「強欲な資本主義」の国だと多くの人が考えている。
 だが現実はそうではない。日本はすでにお金でお金を生み出す国になっているのだ。図1を見ていただきたい。青の棒グラフは1970年からの日本の貿易黒字の額である。これに対して赤の棒グラフは投資から得られる利子や配当収入の額を示している(国際収支の用語では所得収支と呼ぶ)。日本の貿易黒字は製造業からもたらされているので、簡単に言えば青はモノ作りでの利益、赤は投資による利益である。


 貿易による利益は80年代に急増したが、その後、増減を繰り返しながら減少し、2011年はとうとうマイナスに転じている。これに対して投資による利益は1980年代から順調に増加し、2004年には貿易による利益と投資による利益が逆転した。現在では日本の利益のほとんどは投資によってもたらされている。これだけの投資収益を得ている国は、世界広しといえでも日本以外には存在しない。
 あれだけお金がお金を生み出すことに対して批判しておきながら、世界中で札束を振りかざして「不労所得」を得ているのは我々日本人なのである。

 日本の政府債務のGDP比は200%を超えており、世界でも突出している(「市場はいつ危機を知るのか?」を参照)。財政難でデフォルトの危機にさらされているスペインや次のターゲットとも言われるイタリアですら、政府債務のGDP費は80%から120%程度である。
 このような巨額の政府債務があるにもかかわらず、日本国債が暴落せず、低金利が維持できる背景には、貿易の赤字を埋め合わせて余りある投資収益が確保されているからである。この投資収益がなかったら、日本はとっくの昔に先進国の座から滑り落ちていただろう。

日本は国内への設備投資をやめ、海外への投資に切り替えた
 では日本はいつ頃からモノ作りを放棄してしまったのだろうか?日本のモノ作りは、ネットバブルに沸いた2000年からリーマンショックが発生する2008年までの間に大きく変質したと考えられる。だがその兆候はすでに1990年代から現れていた。日本がモノ作りを放棄してしまったのはこの時期からである。

 図2は日本から海外への直接投資の額と、製造業の設備投資の状況を示したグラフである。
 青の棒グラフは日本から海外への直接投資の金額である。この統計にはすべての直接投資の金額が含まれているが、その中のかなりの割合が日本の製造業による海外現地法人や合弁会社設立のための投資と考えられる。また青の折れ線グラフは、日本の製造業の総資産に占める工場などの資産(勘定科目では「有形固定資産」)の割合を示している。


 海外への直接投資は2000年に一気に増加し、その後、金融不安が発生した2003年前後に一旦減少しているものの、2000年の後半にかけて急激な伸びを示している。これに歩調を合わせるように、総資産に占める有形固定資産の比率は減少している。
 一方、赤の折れ線グラフは、総資産に占める関係会社への出資金(勘定科目では「その他投資」)の比率を示している。こちらは増加の一途を辿っている。
 つまり、日本の製造業は国内の工場への設備投資をやめ、海外の現地法人への投資を加速させていったのである。

現在の日本の製造業は商社のような存在
 もう少し長期の視点で見てみよう。図3は輸出に対する輸入の比率を示したグラフである。
 日本は原材料を輸入して付加価値を加えて製品を作りこれを輸出しているので、この比率が大きい方がよいモノ作りが出来ていることを示している。

 日本がまだ途上国だった1960年代は輸入の方が多く日本の製造業の競争力が低かったことがわかる。比率が1前後になるのは1970年代であり、完全に輸出が上回るようになったのは1980年代に入ってからである。この頃の日本のモノ作りはまさに絶頂期を迎えていた。その後90年代にはその比率は再び下がり始め、2000年を過ぎるとその下げ足が加速し始めたことが分かる。

 1990年前後を境に、日本の製造業は完全に変質した。それまでは原材料を輸入し、国内の工場で最終製品を作っていたが、1990年代から部品を海外から輸入するようになり、やがては工場そのものを海外に設立するようになってきた。
 もちろん国内に製造拠点を維持している企業も多いが、マクロ的に見れば、現在の日本の製造業はモノを左から右に流す商社のような存在になったといってよい。

自らに厳しかった1980年代と自画自賛の2000年代
 モノ作りが衰退するときには、社会的な風潮にも大きな変化が現れる。
 2000年代の半ば以降、マスメディアにおいて日本のモノ作りを賞賛する記事がやたらと目に付くようになった。
 40代以上の読者の方なら記憶していると思うが、日本の製造業が本当に絶頂期であった1980年代、マスメディアにおける主要な論調は「日本の製造業はまだまだ二流である」というものだった。日本は自動車技術、半導体技術などで米国を凌駕しつつあるが、しょせんは大量生産の安売りであり、革新的な技術は持っていない、という考えが当時の日本では主流だったのである。

 若い読者の方は信じられないかもしれないが、松下電器(パナソニックの旧社名)はマネシタ(真似した)電器と揶揄されていたのである。海外の優れた製品のモノマネばかり作って独創性がないとう意味である。当時の新聞や経済誌は「モノマネではなくホンモノのモノ作りを!」というトーンの記事のオンパレードであった。

 このような日本製品を卑下する風潮には、日本メーカーの圧倒的な競争力を脅威に感じた米国政府が、国をあげてイメージ戦略を仕掛けたことが背景にあり、額面通りに受け取ることは危険である。
 だが、自らに厳しい意見を持っていた当時の日本の製造業は名実ともに世界トップに立ち、その競争力を失ってきている現在、自らを自画自賛しているのはまぎれもない事実である。何とも皮肉なことではないか。

 それでは、日本の製造業は復活できるのだろうか?結論から言うとそれはかなり難しいと考えられる。歴史的に新興国にキャッチアップされなかった工業国は存在せず、日本もその例外ではないのだ。次回は製造業の衰退と産業構造の変化について言及したい。

次回に続く

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