日清・日露戦争当時の株価を検証する(後編)

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あまり知られていないが、日露戦争はグローバルな金融システムと非常に深い関わりを持った戦争であった。日本をめぐる地政学的状況は悪化してきており、今後日本が戦争に巻き込まれるリスクは増大している。社会構造の変化やグローバル市場の拡大、アジアの地政学的変化など、当時と今の状況は非常によく似ている。国際金融市場をうまく活用して戦争遂行に成功した日清・日露戦争の経緯は非常に示唆に富むものである。本誌が独自に収集した明治、大正時代の株価データなどを用いて、日清日露戦争と金融マーケットの関係について考察する。

前回からの続き)
 日清戦争から10年後に遂行された日露戦争は、発達した資本主義経済を背景にした、はじめての本格的な近代戦争となった。日露戦争では、最新鋭の艦船やハイテク兵器が多数投入されたため、戦争遂行期間がほとんど同じであるにも関わらず、日清戦争の8倍もの戦費を必要としている。近代以降の戦争は、経済力の水準によってほとんど勝敗が決まってしまうのだ。日清戦争後の金融マーケットの整備や企業活動の活発化が背景になければ日露戦争は戦えなかっただろう。

 現代の戦争はさらにハイテク化などが進んでいるが、戦争の基本的な枠組みは日露戦争当時と大きく変わっているわけではない。また、日露戦争が行われた当時の国際社会の基本的な仕組みも、実は現代とほとんど変わっていないのである。

各国の利害関係の構図は大きく変化していない

朝鮮半島をめぐる地政学的解釈
 日清・日露戦争は、朝鮮半島をめぐる国際的な利害対立が直接の原因である。朝鮮半島は地政学的に極めて重要な場所に位置しており、利害対立が起こりやすい。

 日清戦争以前は、朝鮮半島は長く中国の冊封(さくほう)を受けており、中国の影響下にあったが、日本が明治維新によって近代化したことと、清の弱体化が進んだことでこのバランスが崩れ始めた。日清戦争と日露戦争はこのような国際情勢を背景に遂行された。

 現在の北朝鮮を中心とした朝鮮半島問題も基本的にこの構図とほぼ同じである。変わっているのは、英国ではなく米国が海洋覇権のリーダーになっていること、韓国が先進国になりつつあること、中国が米国に並ぶ覇権国家になろうとしていることである。だが、各国の利害関係に大きな変化はない。日清戦争後、日本と英国は日英同盟を結んだが、これは現在の日米安保条約とほぼ同じ役割を担っている。

経済のグローバル化と投資銀行の役割
 経済のグローバル化が進んでいたという点においても当時と現在はよく似ている。
 当時の覇権国家は英国でありポンドは基軸通貨であった。英国は金融システムも完全に支配しており、世界のマネーはロンドンのシティに集まっていた。現在の米国ウォール街を中心としたグローバル・スタンダードそのものだったのである。
 シティには国際的に活動する投資銀行(当時はマーチャント・バンクと呼ばれた)が集まっており、戦争遂行のための国債発行もほとんどがシティで行われていた。

 1854年に起こったクリミア戦争は主に英国とロシアが戦った戦争だが、ロシアはその戦費を何と敵国である英国のシティで調達しなければならなかった。当時の英国の金融覇権はこれほどまでに浸透していた(英国は英国で賛否両論はあったものの、ロシアの資金調達を拒絶すると、オープンな国際金融市場とのしての魅力が薄れるため、あえて敵国ロシアの資金調達を支援している)。

 日清戦争の経費は何とか国内債でまかなったが、巨額の経費が必要となった日露戦争では、その戦費のほとんどをポンド建の外債で調達した。このときには、シティやニューヨークの投資銀行が大きな役割を果たしている。
 当時の株価も戦費調達と戦況をリアルタイムに反映している(図1)。

 開戦当初の国際世論は、革命などの国内問題を抱えているとはいえ、大国であるロシアの方が有利であるという見解が多数を占めていた。

 このため、シティでの資金調達は当初かなり難航した。日本軍は、鴨緑江を渡河し、遼東半島にも上陸して、初期の目標である旅順要塞の攻略に取り掛かろうとしていた。日本全権である高橋是清(後の蔵相、首相)の必死の努力もあり、この時期、ようやく第1回目の外債1,000万ポンド(約1億円)の発行が実現した。

 だが、旅順総攻撃が難航したことや、バルチック艦隊が出撃したことなどで株価はなかなか上昇しない。株価が反転するのは203高地の占領によって旅順要塞を陥落させる見通しが付いた1904年の12月になってからである。その後、奉天会戦の勝利によって戦局が日本側に有利になったことから、株価はようやく本格的な上昇を始めることになる。株価の上昇に合わせて外債の起債はスムーズに進むようになり、戦費のほとんどを起債でまかなうことに成功した。

ハイテク兵器の国際売買と戦後利権
 日本が日露戦争のときに外債で調達した資金は、その多くがポンドのまま英国の銀行に預けられた。金の輸送にリスクと経費が伴うこともあるが、最大の理由は、英国から購入する兵器の代金を決済するための外貨が必要だったからである。

三笠は今でいえばイージス艦に相当する

 日露戦争では、東郷平八郎率いる日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊に完勝したが、同海戦に投入された「三笠」をはじめとする艦船の多くはビッカース社、アームストロング社など英国メーカー製の最新鋭のものであった。戦争の遂行とハイテク兵器の売買というビジネスは今も昔も常にセットになっている。

 日本は太平洋戦争後、日米関係の証として、常に米国の最新鋭のハイテク兵器を優先して購入する権利を得てきた。F15戦闘機やイージス艦などがその代表である。だがこれは、高額なハイテク兵器の購入が同盟の条件とも解釈できる。

 実際、1980年代には、日本が次期支援戦闘機(FSX)の開発を独自に進めようとして米国の怒りを買い、計画の大幅変更を余儀なくされる事件があった。また、米国の最新鋭ステルス戦闘機F22が日本に提供されないのは、現在、日米同盟が微妙な状態にあることもその原因のひとつといわれている。

戦争終了後のビジネスチャンスの配分も重要
 イラク戦争が石油利権の確保を目的として遂行されたことはよく知られている。同様に、現在の北朝鮮問題の背景には、朝鮮半島に眠る鉱物資源や北朝鮮が市場開放した後の企業進出の利権が存在している。

 最近話題となっているミャンマーの市場開放も同様だ。改革の象徴であるアウンサン・スーチー氏はビルマ建国の父と呼ばれたアウンサン将軍の娘である。アウンサン将軍は英国からの独立後暗殺されているが、その背景には戦争中の日本軍部や英国諜報部とのつながりが関係しているといわれている。しかもスーチー氏は英国で教育を受けており、夫も英国人だ。スーチー氏は、単純に民主化のアピールのためだけに欧州を訪問しているわけではない。
 
 このようなことからも分かるように、日露戦争前後シティで発行した日本国債を米国が積極的に引き受けたのは、戦争終了後、日本が獲得する満州の利権を日本側とシェアしたいという意向があったからである。結局、日本側はこの提案を蹴ってしまい、このことが最終的には米国との戦争の原因になったともいわれている(桂ハリマン協定)。
 日清日露戦争を振り返りつつ、現在の日本の姿をこれに重ね合わせたとき、暗澹たる気持ちになるのは筆者だけだろうか?

(この記事はこれが最終回です)

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