日清・日露戦争当時の株価を検証する(前編)

このエントリーをはてなブックマークに追加
はてなブックマーク - 日清・日露戦争当時の株価を検証する(前編)
Share on Facebook

あまり知られていないが、日露戦争はグローバルな金融システムと非常に深い関わりを持った戦争であった。日本をめぐる地政学的状況は悪化してきており、今後日本が戦争に巻き込まれるリスクは増大している。社会構造の変化やグローバル市場の拡大、アジアの地政学的変化など、当時と今の状況は非常によく似ている。国際金融市場をうまく活用して戦争遂行に成功した日清・日露戦争の経緯は非常に示唆に富むものである。本誌が独自に収集した明治、大正時代の株価データなどを用いて、日清日露戦争と金融マーケットの関係について考察する。

 日清戦争および日露戦争は近代日本の基礎を確立した戦争である。
 当時の日本は国際社会に登場してきたばかりの新興国であり、アジア地域において一定の権益を確保することが至上命題であった。その意味で、日清・日露戦争は、「戦争は外交の延長線上にある」という基本に忠実な教科書的戦争であったといえるだろう。
 アジアの新興国としての急激な経済成長の中で遂行された日清・日露戦争は、資本市場にどのような影響を与えたのだろうか?図1は、日清戦争から日露戦争までの15年間の株価と実質GNPの推移である。

日清戦争バブルと日露戦争バブル
 チャートで明らかなように、日清戦争と日露戦争は当時の株式市場に大きなバブルをもたらしていた。
 先にも触れたように日本は新興国であり、高い経済成長が続いていた。そのような中で戦争という巨額の財政出動が行われたため、日露戦争前から日露戦争後までの13年間に名目GNPは2.8倍に増大した(インフレの進行により実質GNPは約1.3倍)。

 戦争に関連する企業を中心に株は買われ、日清戦争と日露戦争の両方でバブル的株価となった。特に日露戦争のバブルは激しく、東京株式取引所の株価は2年間で6倍以上になった(当時は、日経平均のような株価指数は存在しておらず、東京株式取引所の株価そのものが市場全体の指標となっていた)。
 もっとも、日清戦争でGNP比17%、日露戦争でGNP比60%という巨額の財政出動は弊害も大きく、戦争終了後に大きな反動不況をもたらしている(表)。しかし、この不況や恐慌も、持続的な成長によって相殺され、日清戦争後には空前の起業ブームが起こり、新しい企業が多数設立された。
 また清から獲得した賠償金をもとに、金本位制を確立したことで、資本主義経済システムの基礎が出来上がったこともその後の経済運営に大きなメリットをもたらしている。

日清戦争と金本位制の真実
 日清戦争の経済面における最大の成果は、清から賠償金を獲得し、金本位制の基盤を確立したことである。
 日清戦争の勝利によって清から獲得した賠償金は銀2億両(付随する報奨金などを含めると合計2億3,150万両)であった。これを日本円に換算すると約3億円となる。当時の日本の国家予算(一般会計)は約8,000万円であったことを考えるとその金額の大きさが分かる。

 実際の賠償金は銀ではなく、英国通貨のポンドで支払われていた。見過ごしてしまいそうな話だが、このようなところにこそ歴史の真実が見え隠れするものである。

清から受け取った金は日本ではなくロンドンに保管されていた

 当時、清は2億両の銀は保有しておらず、日本に銀で支払うためには、大量の銀を市場で購入する必要があった。しかし、一度に大量の買い付けを行えば銀市場が暴騰してしまう。また、当時の基軸通貨であるポンドを保有しておけば、英国からの輸入代金決済に充当することができる(今でいうところの外貨準備)。

 このような理由から、銀2億両に相当する金額を清は英国シティで外債を発行することで調達し、日本はポンドの現金で賠償金を受け取った。
 当時英国は金本位制を採用しており、ポンドには金の裏付けがあった。日本政府は、金の裏付けが確保されているポンド紙幣を「金」とみなし、清からの賠償金の一部を日本銀行の金準備として金本位制を開始したというわけである。つまり、日本は厳密には金本位制ではなく、金の裏付けを持ったポンド本位制を採用したということになる。

 これは、非常に興味深い出来事といえる。
 日清戦争は日本と清の戦争であるにも関わらず、その戦後処理はすべて英国の金融マーケットの事情で決定された。しかも、受け取ったポンドは日本には送金されず、そのまま英国の銀行に預けられたのである(日本には国内に送金すべきという意見もあった)。

 おそらく日本の政府担当者の頭には、巨額の資金をシティの銀行に預けることによって、大口の顧客となり、今後の資金調達などを有利に運ぼうという意図があったと思われる。実際、これが後の日露戦争におけるシティでの戦費調達の成功につながってくる。
 政府のキーマンが金融マーケットの理屈を熟知していることが、いかに大切なことかよく分かる出来事である。

企業ブーム到来
 これまでの日本は実質的に銀本位制であり、しかも銀行が独自に紙幣を発行しており効率が悪かった。金本位制の確立と前後して紙幣が日銀券に統一されたことで、日本の資本主義システムは本格的に動き始めた。
 日清戦争後は反動不況となり実質GNPはマイナス成長となったが、金融システムの整備によって企業ブームが起こり、新しい産業が生まれてきた。図2は、日清・日露戦争期の日銀券発行残高と企業数の推移である。


 清からの賠償金はその多くが1895年から98年にかけて支払われており、それに応じて日銀券の発行残高も増加している。その後、戦後不況から恐慌が発生し、実質成長がマイナスとなり発行残高も減少するものの、日露戦争の勃発によって、さらに金融緩和が進んできたことがわかる。

 企業ブームの到来によって企業の数は急増し、日露戦争終了後には企業数が倍増していた。日清・日露戦争期に創業または開業した企業の中には現在でも経営を続けているところが少なくない。
 明治初期に設立された企業は紡績会社や鉄道会社などの設備産業が中心だったが、日清戦争後の企業ブームでは、社会が豊かになってきたことを反映し、松竹や電通、帝国データバンクといった今も存続しているサービス系の企業も目に付くようになってきた。

 サービス系の会社が発達してくるということは、経済に厚みが出てきた証であり非常に重要なサインだ。戦争とエンターテイメント。一見無関係な両者は実は表裏一体の関係にある。

次回に続く)

関連記事はありません