米国株の暴落局面の研究

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 中国株ショックに端を発する世界的な株安から2カ月が経過した。市場はようやく落ち着きを取り戻しつつあるが、今後の株価についてはまだまだ予断を許さない状況だ。
 今回の株価下落は、中国経済の減速に端を発しているが、世界全体を見渡した場合、経済の牽引役となっているのは米国である。最終的な世界経済の動向を決めるのは、中国ではなく米国であり、今後の日本株の動きも、やはり米国株次第ということになる。
 今回の米国株の調整は果たして一時的なものにとどまるのか、過去の米国株の急落局面とそこからの反転を振り返り、今回との比較を行った。

空前の上昇相場だった世界恐慌前のバブル相場
 歴史的に見て、米国の株価は堅調であり、百数十年の間で大暴落といってよい局面は世界恐慌とリーマンショックの二つしかない。もう少し規模の小さい下落ということになると、70年代のスタグフレーションにおける株価下落、1987年のブラックマンデー、2000年のITバブル崩壊といった例がある。まずは最大の株価下落であった世界恐慌とリーマンショック時の値動きについて検証してみる。

 世界恐慌発生までの15年間、米国は空前の好景気に沸いていた。第一次大戦中は戦争特需が発生し、戦争終結後は生産力が大幅に減少した欧州に代わって、世界最大の工業国としての地位を揺るぎないものとした。貿易赤字に悩む欧州各国を尻目に、製品を大量に輸出し、莫大な額の資本を蓄積していったのである。

 急速に蓄積された資本は、やがて国内の土地や株式に殺到し、米国の株式市場は長期の上昇相場を演じた。1921年に60ドル台だったダウ平均株価は、株価がピークとなる1929年には400ドル近くまで上昇している。だが「暗黒の木曜日」を迎えて株価は暴落。1933年にはダウ平均が50ドル台を付けてようやく反転した。株価の下落率は80%以上、株価がピークを付けてから反転するまでには約35カ月を要している。
 当時の米国は世界の工場として生産能力を次々に拡大させていたので、需要がピークを過ぎると結果的に設備過剰の状況に陥った。また株価や不動産価格の上昇で、負債が増加しており、株価下落後はこれが不良債権となった。

リーマンショックは世界恐慌の半分の規模
 一方、リーマンショックは世界恐慌とは異なり、経済のファンダメンタルが悪くない状況で発生している。サブプライムと呼ばれる不動産担保ローンが過剰な水準となり、不良債権を大量に生み出したという点では、世界恐慌と似ている。だが最大の違いは、大きな経済失速にはつながらず、金融パニックだけが発生したという点である。

 世界恐慌は、過剰な設備投資を原因とする需給ギャップと金融パニックが同時に発生したため、その影響は極めて大きなものとなった。だがリーマンショックは金融パニックのみにとどまっており、不況が長引くことはなかった。ちなみに、今回の中国株下落は、過剰なインフラ投資が原因で発生したものであり、経済危機ということになるが、今のところ金融パニックは発生していない。

 図1は、世界恐慌時とリーマンショック時の株価の推移を示したものである。横軸は株価がピークを付けた月を0とした月数を示しており、縦軸はピーク時を100とした株価の相対値を示している。
 先ほど述べたように、世界恐慌の際には、株価は6分の1近くまで下落し、反転するまでに約35カ月かかっている。これに対してリーマンショックは、ピークからの下落が約半分にとどまっており、株価も約16カ月で反転している。世界恐慌と比較して半分の規模で済んでいるのは、経済危機が発生しなかったことと、量的緩和策という新しい経済政策によるところが大きい。


 金融危機だけであれば、中央銀行や政府が無制限に流動性を供給することで、当面のパニックは回避できる。落ち着いて相互の与信を検証していけば、経済全体として処理しなければならない不良債権の額はそれほどの額にはならないからである。
 しかし金融危機と経済危機が同時に発生した場合、短期的にパニックを回避できたとしても、そこから回復するための道筋を付けるのは難しい。不良債権を処理する最大の特効薬は経済成長なのだが、それが見込めないということになると、不良債権の処理は長期化することになる。

スタグフレーションを契機とする70年代の株価下落
 中国については、今後、経済危機に陥る可能性があるが、米国経済については、今のところその懸念はない。しかも過剰融資が行われているわけではないので、当然、金融パニックは起きようもない。普通に考えれば、世界恐慌やリーマンショックのような事態は発生しないということになる。

 では、それ以外の株価急落局面と比較した場合、どう解釈することができるのだろうか。図2は、70年代スタグフレーションの株価下落、ブラックマンデーによる株価下落、ITバブル崩壊による株価下落と今回の下落を比較したものである。図1と同様、横軸はピーク時を0とした月数。縦軸はピークの株価を100とする相対値である。

 1970年代の米国は低成長とインフレに悩まされており、この時、初めてスタグフレーションという言葉が使われた。米国がスタグフレーションに陥ったきっかけは、ベトナム戦争による財政危機、製造業の競争力低下、そしてオイルショックによる石油価格の上昇である。

 ドルの減価に加え、オイルショックによる原油価格の高騰がインフレに拍車をかけた。1970年から1980年の10年間に米国の消費者物価は約2倍に上昇している。年率に換算すると7.5%だが、同じ期間における名目GDPの成長率は約10%となっている。実質GDP成長率は平均3.1%であり、今の感覚からするとそれほど悪い数字ではない。だが高度成長が続いていた米国にとって、これは大きな試練となった。


ブラックマンデーの原因は今でも不明のまま
 1970年に800ドル前後だったダウ平均株価はインフレを反映して一時1000ドルを突破するが、今度はインフレによる企業業績への影響が懸念され、株価は下落に転じてしまう。600ドル程度まで下落が続き、ようやく株価は反転している。株価の下落率は40%、株価反転までの期間は約25カ月である。

 70年代の株価下落は、スタグフレーションというマクロ的な要因だが、2000年のITバブル崩壊は、産業セクターに対する過剰期待が消滅するというミクロ的な要因で発生している。だが株価の下落パターンには大きな違いは見られない。1999年の年末には1万1500ドルだったダウ平均株価は、ここをピークに下落に転じ、2002年9月には7000ドル近くまで下がってようやく反転した。株価の下落率は35%、反転までの期間は35カ月である。

 ではブラックマンデーはどうだろうか。80年代初頭、高金利政策でインフレの抑制に成功した米国経済は、レーガン大統領による規制緩和策の進展で基本的には好調に推移していた(レーガノミクス)。双子の赤字(貿易赤字と財政赤字)が問題視されていたが、経済危機が発生する状況ではなかった。85年にはプラザ合意によってドル安が進んだが、米国の輸出企業にとっては恩恵となったはずである。

 結局のところ、なぜブラックマンデーが発生したのか、いまだに分からずじまいだ。一説には、金融工学の発達でデリバティブ市場が急成長し、これが市場の混乱をもたらしたという話があるが、明確な証拠があるわけではない。2700ドルを突破していたダウ平均株価は2カ月で1700ドル近くまで下落したが、その後、株価は回復し、90年代のインフレなき経済成長という絶頂期を迎えることになる。ブラックマンデーにおける株価の下落率は約35%、反転までの期間は3カ月だが、これは例外的な出来事と考えてよいだろう。

最悪シナリオはダウ1万2000ドル
 以上をまとめると、世界恐慌とリーマンショックといった大規模な下落になると、株価の下落率は50%から80%になり、回復までの期間は最大35カ月を要することになる。一方、そこまでの下落ではない場合には、株価の下落率は35%から40%、回復までの期間は25カ月から35カ月ということになる(ブラックマンデーを除く)。

 ITバブル崩壊はミクロ要因であり、今回の株価下落には当てはまらない。中国の経済危機が、じわじわと米経済を蝕むというリスク・シナリオを考えると、70年代のスタグフレーションにおける値動きがもっとも参考になるかもしれない。
 もし米国の株価を悲観的に見るならば、ピークから35%程度の下落を想定するのが妥当である。この場合、ダウ平均株価は1万2000ドル程度まで値を下げる計算となる。

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