人民元直接取引は円衰退の予兆

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 円と人民元の直接取引が2012年6月1日から始まった。このこと自体は、為替市場の現場において大きなインパクトのある出来事ではないのだが、メディアの世界では、中国の台頭やドル体制の終えんなどと捉える向きも多い。しかしグローバルな外国為替市場を俯瞰してみると、また別の風景が見えてくる。ドル体制の終えんどころか、日本円の立場が危うくなりつつあるのだ。人民元の直接取引開始というテーマを軸に国際的な為替市場の実態をレポートする。

 2012年6月1日、東京と上海の両外国為替市場において、円と人民元の直接取引が始まった。これまで円と人民元を交換するには、一旦ドルに変える必要があったが、今後はダイレクトに人民元と交換することが可能となる。
 安住財務大臣は人民元直接取引のスタートを受けて、「第三国通貨を介さない取引を行うことで、取引コストの低下や金融機関の決済リスクの低減というメリットがあり、両国通貨の利便性の向上、東京市場の活性化にも資すると考えております」と述べ、政府としても直接取引に期待を寄せていることをにじませた。
 人民元直接取引のニュースは多くのマスメディアで報道されたが、そのほとんどは、ドルを介さない取引きによって手数料の低下が見込めるといったものであった。踏み込んだものでは、中国のドル離れやドル基軸通貨体制の終えんを示唆するものもいくつか見受けられた。
 実際はどうなのか?人民元の直接取引が始まって2週間以上経過しているが、人民元の交換手数料(スプレッド)に大きな変化は起きていない。またドルを介した従来型の取引きも依然として多いという。長期的には手数料の低下、さらにはドル基軸通貨体制の見直しにつながる可能性はあるものの、少なくとも当面の間は「特に何の変化もない」(邦銀為替業務関係者)というのが実情のようだ。
 人民元の直接取引が始まったのに、なぜ人民元の為替市場にほとんど変化がないのだろうか?これを理解するためには、外国為替市場の現実を知る必要がありそうだ。

簡単に手数料は安くならない
 従来の円と人民元の交換はドルを介して行われていた。円を人民元に両替するには、一度ドルに変えてから、さらにドルから人民元に変えるため、手数料が二重に発生していた。人民元と直接取引できれば、第三国通貨(この場合はドル)を介在させないので、手数料は一回分で済むため、その分だけ安くなるという仕組みだ。
 しかし実際には、ドルを介した取引きが依然として行われている。その理由は手数料の仕組みにある。
 これまで手数料という言葉を使ってきたが、外国為替取引の現場では、手数料を直接顧客から徴収しているわけではない。外国為替のディーラーはより安い値段で通貨を仕入れて、ある程度の金額を上乗せして相手に売り、その差分を利益としている。これが実質的に手数料の役割を果たしているのだ。銀行や空港の交換所でTTS、TTBという表示を見たことがあると思うが、TTSが売値、TTBが買値である。一般的な為替レートとして表示されているのはその仲値であり、TTSとTTBの差額をスプレッドと呼ぶ。
 このスプレッドは、為替市場に参加するディーラーの数や取引高が増えれば増えるほど競争原理が働き縮小してくる。逆に取引きが薄いとスプレッドは拡大する。
 人民元と円の直接取引が開始されたものの、円とドル、ドルと人民元の取引高の方が圧倒的に大きいため、直接取引ではディーラーが十分な利益を確保できない可能性がある。このため、多くの取引きがドル経由のままとなってしまう。
 実際、為替取引の規模はどの程度の違いがあるのだろうか?図1は東京市場におけるドル円、ユーロドル、人民元円取引きの規模を示したものである。


 為替市場の取引高は時期によって大きく変動するが、5月の取引きを平均すると、ドル円では1日あたり約70億ドル、ユーロドルでは約60億ドルの取引きがあった。ユーロ円は規模が小さく約20億ドルである。これに対して人民元と円の取引きは約1億ドルと、ドル円取引きの約70分の1である。ドルと人民元の取引きは香港のオフショア市場などで行われておりこちらの規模は約10億ドルである。
 人民元と円の取引規模と比較すると1ケタ異なっているため、取引きのスプレッドもドル経由の方が安くなる可能性が高い。人民元との直接取引メリットをスプレッドの低下という形で享受するためには、何よりも取引高が大幅に拡大する必要がある。

グローバルな為替市場の驚くべき現実
 それでは、ドルを介さない取引きが始まることで、ドルの基軸通貨体制に影響するという話はどうだろうか?
 ドルを介在しない取引きが増加すれば、確かに長期的にはドルの基軸通貨体制が弱体化していく可能性はある。しかし、国際的な為替取引の実情を客観的に眺めてみると、仮にドル離れが進むにしても、その歩みはかなりゆっくりしたものになることが想像される。
 図2はグローバルな為替市場を俯瞰したものである。


 まず注目して欲しいのは為替市場の規模である。世界全体の為替市場の取引高は1日あたり約5兆ドルである。このうち、ロンドン市場(1兆8000億ドル)とNY市場(9000億ドル)で世界市場の半分市場を占めている。ちなみに、全世界の貿易額は1日あたり500億ドルでしかない。なんと貿易による為替のマーケットは資本取引によるマーケットの100分の1でしかないのだ。為替レートに貿易が与える影響は想像よりもかなり小さいことがわかる。
 通貨のシェアを見てみよう。ドルを介した取引きは全体の約43%、ユーロを介した取引きは約20%である。ロンドン市場とNY市場の主要な取引きはユーロドルなので、全世界の取引におけるドルの存在感は圧倒的である。
 グローバルな取引市場の中で日本円のシェアは10%程度、人民元にいたっては0.9%である。もちろん今後、中国の台頭や人民元の自由化によって人民元のシェアは拡大してくるだろう。しかし、中国が世界最大の貿易国家として高成長を続けたとしても、貿易による為替市場への影響は極めて限定的だ。人民元が為替市場において有力な地位を占めるためには、人民元の自由化が絶対条件だが、中国の国内事情を考えると、すぐに人民元を自由化することは現実的に困難だろう(人民元を一気に自由化すれば、人民元は急激に切り上がり、中国の輸出産業は大きなダメージを受け、結果的に高度成長をストップさせてしまう)。

日本円はリージョナル通貨へと転落
 為替市場の主導権を握っているのが、英国である点もドルにとって防波堤になる。英国は最近のユーロ危機によってさらにその存在感を強くしている。英国にとっては、ドル、ユーロ、人民元の3陣営とうまく駆け引きすることによって自国の地位を確保するインセンティブがはたらく。その意味で、特定通貨の急激な台頭は望まない可能性が高い。
 人民元の直接取引や自由化といった為替市場の変化で憂慮すべきなのはドルではなくむしろ日本円である。
 ここ10年で東京市場の国際的なシェアは急激に低下している。近いうちにシンガポール市場の後塵を拝することになるだろう。日本円は東京市場の衰退とともに、「リージョナル通貨へと転落する可能性が高まっている」(外銀為替ディーラー)のだ。人民元の直接取引が人民元シェア拡大の第一歩だとすると、それは日本円凋落の第一歩でもある。

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