ハイテク・バブルの歴史(第2回)

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前回から続く)
鉄道バブルの前には運河バブルがあった
 工業化が急速に進んだ当時の英国において、鉄道に先んじて、その輸送インフラを担ったのは英国全土に張り巡らされた運河網であった(現在も観光資源として英国には当時の運河がそのまま残されている)。
 運河のビジネス・モデルは鉄道や通信と同じ、利用料金(運河の場合は通行料)を徴収するタイプであり、巨額の初期投資が必要という点も同様である。
 運河を開発する企業には投資資金が殺到し、鉄道バブルとまったく同じような現象が起きていたのである。その後、運河会社の株は鉄道という新しいテクノロジーの登場によって低迷していくことになる。
 このように英国の事例を見てみると、新しいテクノロジーによってバブルが形成されるのは、必ずしも収穫逓増型のビジネス・モデルを描く事業ではないことがわかる。むしろ、運河、鉄道、通信といったような、その収益にある程度の限界性があるインフラ事業的な企業に対してバブルが発生している。
 それでは、インフラ事業よりも収穫逓増に近い業態である製造業はどうだろうか?

米国の自動車ブーム
 工業化の歴史において、社会に対して最も大きなインパクトを与えた出来事のひとつが、ガソリン・エンジンによる自動車の登場である。
 自動車は登場したばかりの時には、モーター駆動のものが多く(いわゆる電気自動車)、現在主流のガソリン・エンジンはむしろマイナーな存在であった。しかし、米国における特許紛争などをきっかけに、消極的にガソリン・エンジンが選択され、このガソリン・エンジンが予想外の技術的進歩を遂げたことで、自動車が驚異的に普及することになる。
 1920年代には、米国の好景気をバックに自動車株がバブル的な高騰を見せた。図5はGM(ゼネラル・モーターズ)の株価推移を示したチャートである。GMはその前身であるビュイック社を中心に、1900年代初頭に20社以上もの自動車会社に対してM&Aを実施して出来上がった巨大企業である。


 GMは当初、M&Aで巨大化した企業にありがちな管理体制の不備によって経営が混乱していた。しかし、1914年に勃発した第一次大戦による自動車特需によって最初の株価上昇が起こった。その後、デュポン社とモルガン商会がGMの経営に本格的に関与したことによりGMは洗練された巨大企業に生まれ変わる。
 1920年代の好景気を背景にGMは飛躍的にシェアを伸ばし、ついにフォードを抜いてトップメーカとなり、株価は驚異的な高騰を見せた。
 1910年代に0.5ドル前後であった株価は、ピーク時の1928年には約200倍の88ドルまで上昇している。図5からも分かるように、米国の自動車保有台数の著しい増加が見られた後に株価の高騰が起こっており、保有台数との相関が強いことが伺える。
 製造業はインフラ事業と比べると収穫逓増モデルが描き易い業態である。新製品を開発するための費用と製造ラインの構築に要する初期投資を負担すれば、その後は製品が売れれば売れるだけ利益が増加する。もっとも、同じ製品が永久に売れ続けるわけはなく、常に新製品の開発投資が必要だし、製造ラインの生産能力にも物理的限界がある。
 しかし、インフラ事業と比べれば、容易に規模の拡大が可能であり、利益成長を続けやすい。実際、1920年代におけるGMの株価推移は、その後の同社が稼ぎ出す何十年分かの利益を先取りしたものといってよいだろう。
 自動車株の急騰は米国だけではなく、戦後の日本においても発生しており、鉄道株と同様、普遍性が高いことが分かる。
 それでは、製造業の他の分野はどうだろうか? 1970年代、80年代に目覚しい発展を見せた半導体産業について見てみよう。

日米半導体戦争
 半導体の歴史は新しい。1948年に米国ベル研究所のショックレーによってトランジスタが開発され、ICと呼ばれる集積回路が製品化されたのは1960年代に入ってからである。
 当初、半導体需要のほとんどが軍事・宇宙開発であり、民生用はほぼゼロであった。しかし、1970年代に入ると米Intel社がメモリ(DRAM)を開発したことで、本格的な民生用半導体時代の幕開けとなる。
 半導体黎明期から1970年代にかけて半導体産業の主役は米国であった。しかし、日本勢が電卓やオーディオといった民生機器向けに次々と新製品を投入し、80年代に入ると米国と日本のシェアが逆転した(図6)。


 90年代に入ると、もともと日本がリードしていたはずのマイクロプロセッサ技術が米国で開花し、パソコン用MPUとして急成長して再び日米のシェアは逆転した。2000年以降は韓国や台湾などアジアの新興国が急激にシェアを拡大して現在に至っている。
 1980年代の日本メーカーの攻勢はすさまじく、米国では、「このままでは、自国の半導体産業が壊滅し、安全保障上の問題が生じる」とまで言われていた。
 日本の半導体メーカーの中でも、トップの生産量を誇っていたのがNECである。図7は当時のNECの株価と日本における半導体生産額の伸びを示したチャートである。

 70年代後半から80年代前半にかけて半導体出荷額が急増しており、NECの株価はそれを遅れて反映する形で80年代後半にピークを迎えている。米国とのシェアが再逆転する90年代に入ると、バブル崩壊の影響もあり出荷額の伸びが鈍化するとともに、株価は大きく値を下げている。一方、図8は米Intelの株価チャートである。


 米Intelはご存知の通り、パソコンのCPUで絶大なシェアを持つ世界最大級の半導体メーカーである。同社の創業は1968年。設立当初は小さなベンチャー企業であり、主にDRAMの開発、製造を行っていた。しかし、70年代後半から日本メーカーの猛烈な攻勢を受けDRAMから撤退、その後、パソコン用CPUに経営資源を集中したところ、90年代に入りパソコン市場が急成長、同社は超巨大企業となった。
 NECが株価のピークを付けた80年代後半には、Intelの株価は1ドル以下という低水準であった。しかし、日米の半導体シェアが再逆転し、パソコン用CPUが巨大市場に成長するにつれて同社の株価は急上昇した。ITバブルによる相場全体の動きとも重なり、2000年8月には65ドルまで高騰した。80年代半ばに投資を行った投資家のリターンは何と130倍である。

分かりやすいことが重要
 自動車産業と同様、半導体分野においても市場の急拡大とバブル的株価形成が観察される。インフラ事業から製造業まで俯瞰的に眺めてみると、新しいテクノロジーの登場は、分野に関係なくバブルを引き起こしやすいことがわかる。
 しかも、バブル的株価が形成されている最中には、多くの場合、株価が説明不可能な水準まで上昇している。これは利益成長の限界がはっきりしているインフラ・ビジネスにおいてもまったく同様である。
 もちろん、新しいテクノロジーの登場がすべてバブルをもたらすわけではない。画期的な技術でありながら、それほどの相場にならなかったケースも少なくない。
 それでは、テクノロジーによってバブルが引き起こされる条件は何なのだろうか?すべての技術開発について検証することは事実上不可能なので、これは推測するほかないのだが、キーワードになるのは「分かりやすさ」と思われる。
 運河や鉄道、インターネット通信網などは、専門知識が乏しい一般投資家にも分かりやすい事業である。同様に、自動車もコンシューマ商品であることから、投資家がイメージしやすい業態と考えられる。NECやIntelが製造する半導体は本来地味な存在だが、パソコンという最終商品が存在することで投資家のイメージは向上する。
 多くの投資家にとって重要なことは、「画期的な技術」ではなく「画期的な技術と認識されやすい技術」である。日本では一時期ナノテクノロジーが次世代の画期的技術として注目された時期があった。しかし上記の原則からすると、太陽電池や電気自動車などと比べると、バブルを形成しにくい技術であることがわかる。

バブルを引き起こした分野は成長する
 これまで見てきたすべてのテクノロジーバブルはどこかのタイミングで崩壊している。しかし、その後、当該産業分野が衰退したのかという決してそういうことはない。バブルをもたらした新技術の多くは、その後の有力な産業に成長している。
 英国における鉄道はその後の同国における基幹インフラとなり圧倒的な先進工業国としての基盤になった。米国の自動車産業や日本の半導体なども同様である。
 バブルがピークを迎える時期の株価のほとんどに妥当性はないが、長期的視点で見るとバブルの発生は設備投資の起爆剤となっており、時間をかけることによってバブル的株価は正当化されていく。長期的なスタンスで投資を継続する余力があるならば、テクノロジー分野への投資は有力な選択肢でありつつけるだろう。
(本記事はこれが最終回です)

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