インフレから身を守る方法

このエントリーをはてなブックマークに追加
はてなブックマーク - インフレから身を守る方法
Share on Facebook

 日本経済はバブル崩壊後、20年以上にわたってデフレに苦しんできた。だが安倍政権が誕生し、量的緩和策の拡大と2%の物価目標の導入が発表されると、市場には一気にインフレ期待が広がった。極端な市場関係者からは近い将来ハイパーインフレになると警戒する声まで出ている。

 日本では長くデフレが続いていたため、急にインフレと言われてもイメージしにくいかもしれない。だが、リーマンショックを契機とした量的緩和策の拡大と各国の財政収支の悪化が、世界にインフレをもたらす時限爆弾になっているというのは事実なのだ。

 果たして日本経済はハイパーインフレになる可能性があるのか?ハイパーインフレにはならないまでも、際限のないインフレ・スパイラルに入った場合には、どのように対処すればよいのか?非常事態になると平時の理屈は通用しなくなる。日本とドイツが経験した猛烈なインフレの歴史から検証した。

インフレになるかどうかは、デフレの原因をどう解釈するかにかかっている
 安部政権の経済政策(アベノミクス)が日本経済に良好な結果をもたらすのかどうかは、デフレの原因についてどう解釈するのかで大きく変わってくる。

 デフレの主な原因を為替と考える人は、日本の主力産業である製造業にはまだ競争力があり、収益が低迷しているのは円高が理由であると解釈している。この立場に立つ人は「円安→株高→実態経済の成長」と捉えているはずだ。つまり円安転換によって企業業績の回復が期待され株価が上昇、少し遅れて企業の業績が向上し、最終的には実質GDPが増大するという流れである。とりあえず円安を受けて株価が大幅上昇したということは市場はおおむねそう判断しているということになる。

 一方で、そう考えない人もいる。デフレは為替のせいではなく、日本の構造的な問題と解釈しているのだ。ここでいう構造的問題は2つある。ひとつは日本メーカーの技術力が低下し国際的な競争力を失っていること。もう一つは原発の停止によってエネルギー輸入が増加していることである。この立場に立つ人は、円安の原因について、量的緩和策の拡大だけでなく貿易赤字の影響が大きいと考えている。

可能性は低いがゼロではない
 もし後者の考えが正しいのだとすると、円安が進んでも日本メーカーの業績はあまり改善せず、実体経済の成長にはつながらないことになる。逆に輸入価格の上昇によって経済成長なき国内物価の上昇が始まり、購買力の低下を嫌った資本が海外に流出し始める。これが日本経済最大のアキレス腱である国債価格の下落を引き起こすというメカニズムだ。公共事業の増大による政府債務の増大がこの動きに拍車をかけることになる。

 もっともこの流れで日本がハイパーインフレに陥る可能性は極めて少ない。貿易赤字が定着したとはいえ、日本は海外に膨大な金融資産を保有しており、貿易赤字とほぼ同額の利子配当収入がある。そうそう簡単に経常収支が大赤字になることはないからだ。

 だがこのことは、日本市場が安全であることの担保にはならない。国債を保有する外国人投資家の割合は年々上がっており、現在では短期新発債の30%が外国人投資家による保有である。彼らが日本の財政を懸念して売りに転じると、国債市場が混乱する可能性は十分にある。日本の金融機関は大量に国債を保有しており、長期国債の金利が3%になっただけでも巨額の損失が発生する。こういった出来事が円売りと資金移動を誘発し、極端な円安とインフレを引き起こす可能性はゼロではないのだ。

終戦後に経験した猛烈なインフレの実態
 もし日本が際限のないインフレ・スパイラルに突入した場合には、どのように対処すればよいのだろうか?それを知るためには、インフレというのはどのようなものなのか理解しておく必要がある。日本はかつて、ハイパーインフレに近い猛烈な水準のインフレを経験しているのだ。太平洋戦争の遂行とその戦後処理によるインフレである。

 日中戦争および太平洋戦争の戦費総額(名目値)は開戦当初の国家予算(一般会計)の100倍というムチャクチャな水準であった。これらの戦費はすべて国債発行で賄われたため、戦時中から悪質な財政インフレが進行していた(本誌記事「太平洋戦争当時、株価はどう動いたのか」参照)。また度重なる空襲で日本の生産設備の50%以上が失われ、極端な供給不足の状態が続いていた。この状態で終戦を迎えたわけであり、日本経済がその後、猛烈なインフレに襲われるのは必至の状況であった。

 さらに終戦直後から莫大な額の復興資金が必要となり、この資金は復興金融公庫(現在の日本政策投資銀行)が供給した。財源はすべて日銀による国債の直接引き受けによって賄われており、この資金調達がインフレにさらに拍車をかける結果となった(いわゆる復金インフレ)。
 図1は日本における終戦直後の物価指数を表したグラフである。1945年からの5年間で消費者物価指数は約28倍、卸売物価指数は約60倍に上昇した。毎日ゼロのケタが増えていったドイツのハイパーインフレに比べれば穏やかなものだが、それでも毎年物価が2倍、3倍になっていくというのは尋常なことではない。


 もっともこの数値は公定価格ベースであり、実態はもう少し穏やかだった可能性がある。というのも、現実には生活物資のほとんどが自由市場(いわゆる闇市)でしか購入することができず、闇市の価格は戦争中から続くモノ不足を反映して、終戦時にすでにかなり高い水準まで高騰していたからである(つまり戦時中から連続してカウントすれば物価上昇率は同じになる)。

 日本は最終的に強烈な金融引き締めと預金封鎖という非常手段でインフレを沈静化した。預金封鎖とは、銀行口座を強制的に凍結した上で新しい紙幣(新円)を発行し、新円と交換しない限りは預金を引き出せないようにした措置のことを指す(緊急金融措置令および日本銀行券預入令)。同時に財産税法を公布して、封鎖された預金に対して最高税率90%にも達する税金を課した。これによって預金のほとんどは国家によって吸い上げられ、ようやくインフレは沈静化したのである(多額の預金を持つ資産家は、ほぼ全財産を失った)。

ケタが違うドイツのハイパーインフレ
 日本はこの水準でなんとかインフレが収まったが、第一次大戦後のドイツのインフレはケタが違った。ドイツのインフレはまさにハイパーインフレと呼ぶべきものといえる。

 ドイツにおけるハイパーインフレのきっかけとなったのは、連合国に対する1,320億マルクにのぼる賠償金の支払いである。停戦時のドイツの国家歳入は68億マルクであったことを考えるといかに巨額の賠償金なのかが分かる。ドイツのライヒスバンク(当時の中央銀行)は、賠償金の支払いを紙幣の大量印刷で対応したため、空前のハイパーインフレが発生した(インフレの発生をあえて放置したかのようなライヒスバンクの行動については今も謎とされている)。第一次大戦が終了した1918年からインフレが収束する1923年までの5年間に、物価は約1兆倍を超える水準にまで上昇した。図2は当時のドイツの物価指数である。

 インフレの期間は3つに分けて考えることができる。当初はそれほどでもないが、多くの国民がインフレを認識し始めると、徐々に物価上昇が激しくなっていく。初期から中期、中期から後期の境目のように、一時的にインフレが沈静化したかに見える局面もあるが(対数グラフなので分かりにくいがかなりの下落となっている)、最終的には爆発的な物価上昇でインフレが終了することになる。後期の部分だけでトータルの物価上昇分のほとんどを占めていることが分かる。
 ドイツの場合は、最終的に「レンテン・マルク」と呼ばれる土地と地代を担保にした新しい紙幣の発行によってインフレを沈静化させた。

インフレ時に株価や為替はどう動いたのか?
 このようなインフレが襲った時、投資家はどのように行動すればよいのだろうか?インフレに強い商品といえば、外貨、株式、土地、金などが考えられる。
 結論から先にいうと、日本の事例でもドイツの事例でも、インフレの発生と同時にこれらの商品に投資をしていればインフレを完全にヘッジすることができた(日本の場合は為替に制限があり外貨投資は不可能だったが、ドイツではフランやポンドに投資した人は多かった)。

 だが問題なのはそのタイミングである。これらの商品はすべて最終的にインフレの水準に追いついているが、そのタイミングはまちまちなのである。特に株式と土地は為替や金に比べて価格が上昇するタイミングが遅い。毎日物価が値上がりしているのに株価や地価がまったく上昇せず、実質的には大幅なマイナスになってしまう期間が存在する。ドイツや日本においても、株価や地価の低迷に絶望し、このタイミングで売却してしまった投資家も多かったのだ。

 もっともこのようなタイミングのズレは最大の投資チャンスでもある。株式や土地に比べて為替や金の物価との連動性は極めて高い。インフレの発生と同時に為替や金で資金をヘッジし、その後相対的に割安になっている株式や土地に投資すれば、インフレ率以上の収益を上げることが可能となる。

 実際、インフレ時に巨額の資産を築いた人は、多くがこの方法を用いている。ハイパーインフレ下のドイツでは、ダイムラーの株価は紙切れ同然、一等地のオフィスビルも投売り状態だったという。だがいくらインフレとはいえ、オフィスで人は仕事をしているし、ダイムラーの高級車は売れ続ける。ダイムラーの株式で億万長者になった個人投資家は多数存在したのである。
 戦後インフレ下の日本でも、資金に余裕のあった投資家は積極的に株式投資を行い大きな資産を築いたといわれる。また西武鉄道グループが持つホテルの資産はすべてこの時期に取得されたものである。猛烈なインフレという特殊な環境がなければ、現在の西武グループは存在していない。

 日本やドイツのインフレ発生時に、株価や土地、金などが具体的にどのような値動きをしたのかについて興味のある方は弊社作成の以下の有料レポートをぜひ参照して欲しい。

 ・終戦直後ハイパーインフレ期における株価と不動産価格(日本)
 ・ドイツ、ハイパーインフレ下の株式市場
 (別サイトでの有料販売となります。ご注意ください)

【関連記事】